【一日一笑】同級生はいわば“戦友”。「大変」だったけど「嫌」じゃなかった。
初めてお会いした時も、ついさっき顔を合わせた時も、いつも変わらぬ“スカッ!”と晴れ渡るような笑顔で挨拶をしてくれる、本学科の専任教員〔坂本 英世(さかもと えいせい)先生〕。
先生がいるだけでこの秋雨のグズグズな天気も一気に快晴になりそうなそんな太陽のような先生が本学科にはいます。しかしただ明るいだけではなく、何か芯が通っている、そんな強い目力もまた印象的です。先生は、なんと本学科の5期生です。大学を卒業し社会人経験を経て本学科へ入学をしました。
どんなことがきっかけで言語聴覚士(以降STと表記)を志そうと思ったのか、どんな経験を経てSTになったのか、そんなお話を聴きました。
坂本先生は、ガッチリとしたいわゆる“体育会系”な格好からもわかるように、子どもの頃からずっと水泳をやってきたそうです。
坂本先生:
「大学時代、水泳の指導員や監視員のアルバイトをしていました。アルバイト先の水泳教室に、“しゃべり”が不自由な子が通っていて、その頃はその子がそんな不自由さを持っているとは知らずにからかってしまったことがあったんです。後日、その子のお母さんから実は障がいを持っているんです、という話を聴き、“なんてことをしてしまったのか”と自責の念がありました。でも、水泳教室の自由時間にその子から私に“先生、一緒に遊ぼう~”と近寄ってきてくれました。嬉しかったし、何とも言葉に出来ない思いがこみ上げてきました。自分にもっと知識があったら、とやはり自責の念ばかりでした。そして本屋へ行き調べてみると、OT(作業療法士)やPT(理学療法士)と同じSTというリハビリテーションの仕事があることを知りました。それがSTという仕事を知るきっかけですね。」
大学時代にSTという仕事を知った坂本先生ですが、大学卒業後は一般企業へ就職をされました。
坂本先生:
「大卒2年課程のST養成校があることは知っていたのですが、当時は姉も大学卒業後進学をしていたし、大学では経済学部で医療の知識もまったくなかったので、お金を貯めるためにも一度社会へ出ようと思い就職をしました。これ私の人生の中での唯一の自慢話になってしまうんですけど、就活を始めて1社目で内定をいただいたんです!しかも120倍という倍率で(笑)。」
坂本先生は、本学科に入学する前は大手製薬会社でMR(医薬情報担当者)として北海道で働いていました。経済学部出身で医療に関われる仕事は何だろうと調べていて、MRという仕事にたどり着いたそうです。そこで医療の知識や社会のルールなどを学びました。そして、STを目指すべく退社をして本校へ入学をします。
坂本先生:
「一度社会に出て学んだことはやはり今も活きています。例えば情を持って人と関わることであったり、規律を守ることであったり社会人としてのマナーや言葉遣い、もちろん医療の知識も多くはないけれど身につけることができました。」
坂本先生は何校か受験し、本校を進学先として選びました。
坂本先生:
「本学科を知ったのはホームページがきっかけでした。大学4年生のときに学校説明会に参加をしました。そのときの感じもすごく良かったのですが、ここを受験したときの試験監督が現在の学科長、櫻庭先生でした。未だに覚えているんですけど試験のときに座席が指定されていて、そのときの席が教壇のまん前の席!そして誘導も面接官も櫻庭先生でした。櫻庭先生やスタッフの方の対応がすごく良かったんですよね。その時から“この先生はいい先生だ!”って思っていました(笑)ちなみに入学後、担任の先生も櫻庭先生だったんですよ。櫻庭先生の人を引き付けるお人柄、心から歓迎してくれている“良く来たね~”そんな風にどの場面でも気持ちよく接してくれる、そんなところに惚れてしまいましたね(笑)。」
ご縁があって、本学科に入学することになった坂本先生ですが、当時資料請求をしたパンフレットも穴が開くくらい見ていたとのこと。そのときのパンフレットに載っていた当時の在校生は、坂本先生が入学したときには既に卒業していましたが、坂本先生がSTになってからSTの県士会、あるいは現在の仕事の中で実習巡回をしているときに“あの時パンフレットに載っていた先輩だ!”と出会うこともあるそうです。
さて、STになるべく本学科に入学した坂本先生ですが、どんな学校生活をおくったのでしょうか。学費のやりくりについても伺いました。
坂本先生:
「今も大体同じですが、当時も授業は1週間ビッシリだったので1日中椅子と机に張り付いていました。ただ、だからといって苦にはならなかったです。これから入学を考えている人は、やっぱり勉強が心配という方はいると思いますが、それはごく普通のことですよね。でもSTになりたいという気持ちがあれば大丈夫。私は勉強しているっていう感じじゃなくてやりたいことをやっている感覚、趣味の延長みたいな感覚でした。放課後や休日は図書室で勉強する“図書室組”といういつも集まるメンバーで励まし合いながら勉強していました。放課後は、お金がないのでマックへ行って当時販売していた“メガマック”を食べながら勉強していました。だからあだ名が“メガマック”でした(笑)その後、歩いて帰る中で、自分の声でMDに録音した問題と回答を聞きながら、そしてときには“ゆず”の『栄光の架け橋』を聴きながら自分を奮い立たせて帰っていましたね~(笑)
クラスメイト40人が同じ目標なので、同級生もライバルじゃないんですよね。国家試験で120点取れればみんな合格できるので、本当に“戦友”でしたね。今でも同期との交流は続いていますし。」
先生にも苦手科目はもちろんありましたが、大学で電子系の学科を卒業した同級生に音響学を教えてもらったり、クラスメイトに勉強を教わりながら日々頑張っていたそうです。
坂本先生が今STとしてあるのは当時の2年間の努力があったからなのは言うまでもありません。人生で一番勉強した2年間だったとおっしゃっていました。ただ、学校生活は勉強ばかりではなく、大卒2年課程という学科柄、飲み会なども比較的頻繁に開催され、その幹事は坂本先生がやっていたそうです。
また、単発のアルバイトをすることもたまにあったそうです。
坂本先生:
「社会人時代にお金を貯めたとはいえ、最初の1年目はそれで過ごせましたが、2年目は両親の援助を受けていました。ただ、単発でできるアルバイトがあると、たまにやることもありました。その頃は収入なんてまったくないので、少しでも足しにしようと思っていました。」
今は2年生になると3ヶ月間の臨床実習がありますが、坂本先生が通っていた当時は1年生と2年生のときとで分けて実習をしていました。
坂本先生の実習の経験はどのようなものだったのでしょうか。
坂本先生:
「実習は、大変なことのほうが多かったけど、STになりたいっていう気持ちが強くなりました。なんですかね、大変だったけど嫌じゃなかったですね。それに厳しいことも言われましたが、その当時の自分は“そのとおりだ”と思って素直に受け取れていました。」
そして、2年間の努力が功を奏し、晴れてSTとして働くことになった坂本先生。ちなみに先生は、卒業前に内定を頂いていたそうです。
新米STとして、茨城へと旅立ちます。
たくさんのお話を伺いましたが、やはり“STになる”という意志が本当に強かったのだなと、話している先生の真っ直ぐな眼差しから伝わってきました。
次回ではSTとして就職をした後のお話を伺います。
つづく
プロフィール
坂本 英世(さかもと えいせい)
言語聴覚士
担当科目/失語症総論、高次脳機能障害総論、失語症・高次脳機能障害Ⅰ・Ⅱ
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