【一日一笑】いつかきっと・・・と自分に言い聞かせて自分の弱さと向き合った。

社会人経験を経て本学科に入学をし、言語聴覚士(以降STと記載)となった坂本 英世(さかもと えいせい)先生。

卒業後は、茨城の会田記念リハビリテーション病院へ就職をしました。会田記念リハビリテーション病院は名前のとおりリハビリテーション専門の病院だったので、坂本先生が在籍中多いときで約120名のリハビリテーションスタッフがいたということです。坂本先生はここで約7年間STとして働かれていました。

坂本先生:

「臨床実習先もリハビリテーション専門の病院だったので、就職先もリハビリテーションの知識や技術を深めたいなぁと思いこちらの病院へ就職をしました。就職当初はSTが7名在籍していましたが、その後15名に増えました。

就職して1年目・・・というか、入ってからずっと大変でした。何が大変だったかというと、自分のできなさ加減に直面して、こんなにもできないと思っていなかったんですよね。知識にしても技術にしても話す能力にしても。私の職場では1週間に1回STの会議があったんです。そこで毎週新しく入ってきた患者さんについての情報を1分間に短くまとめて発表するというのがあったんですけど、それが最初の頃は苦痛で、ぜんぜん言えなかったんです。言いたいことはたくさんあるんだけど、それをうまくまとめられなくて、“それはどういうこと?何が言いたいのかわからない。”と言われていました。1年上の先輩はスラスラと発表していて、先輩たちがとても輝いて見えたんですよね。でも自分はぜんぜん言えなくていつも自分のときだけ時間をもたつかせてしまって、最初の頃は患者さんのことを考える以上に、どうやったら怒られないだろうとか自分の体裁を守ることでいっぱいになっていました。“いつかきっと・・・”と自分に言い聞かせて、自分の弱さと向き合った、一年でした。」


不安ばかりが先行してしまい、休みの日なども参考書などを読んでみるものの、結局は不安で集中できなかったという坂本先生。そんなときに、以前お世話になった恩師のところへ勉強させてもらいに行ったそうです。“何がわからないのかわからないんです。”と伝えると、“とりあえずいらっしゃい。”と言ってくれて、休みの日に先生のクリニックへ行き臨床を見せてもらったり勉強会へ出席したりしながら、少しずつ学んでいったそうです。


坂本先生:

「いつかきっと・・・という思いは、1年目だけじゃなく今も持っていますよ(笑)ただ、私の転機は3年目です。学会発表をしたんです。テーマは高次脳機能障害についてでした。学会は全国レベルのものなので生半可なことはできないと思い、患者さんの検査のまとめや症状についてなど、どうしたらまとめられるのか、すんごい考えました。1年目は目の前のことしか考えられなかったけど、そのときに深く深く考えて悩んで、悩むことが楽しいと思ったんですよ。今までは悩むことや迷うことが苦しかったんですが、はじめてそう思えたんですよね。」


発表に至るまでの準備をすることで、いろいろと自分でもわかるようになってきたそうです。その頃、上司や先輩の会話も理解できるようになってきたといいます。きっと先生がSTとして成長した瞬間だったんですね。

そんなこんなで先生にとってはあっという間の七年間でした。

先輩後輩みんな仲が良く、職場内の雰囲気もとても良かったそうです。上司の方から注意を受けることも度々あったとはいえ『そのとおりだな』とこのときも素直にそう受け取れたそうです。よく飲み会などもおこなっていたとのこと。

STとして勤務されていたときの思い出の一つは、病院の忘年会で着ぐるみを着て司会をしたり、当時流行の“羞恥心”を歌って踊ったことだそうです。“先生らしいな~”と聴いていて思いました。

また、勤務時間は大体8:30~17:30まででその後、患者さんの訓練教材を作ったり後輩指導を行ったり、検査結果をまとめたり、患者さんの夜ご飯を食べている様子を見に行ったりもしていたということです。

臨床についても聴いてみました。


坂本先生:

患者さんはお一人お一人がわたしにとって先生でしたね。ある40代の男性患者さんがいて、重度の失語症と体の麻痺がある方で会社を兄弟で経営されていて、営業を担当されていたんですね。失語症の影響で営業の仕事に戻るのはちょっと難しいけど、文章構成のチェックはできたんですね。最終的にはとてもゆっくりではありましたがパソコン打ちまでできるようになったんです。そして、PTさん(理学療法士)と一緒に職場まで行ったんです。その職場の動線や仕事内容を見せてもらって、こういう動きやこいう仕事内容ならできる、というようにアドバイスをして職場復帰を果たしました。

その後も、外来として私が担当していたのですが、私が病院を辞める最後の日に、何か目標を立てましょう!と提案をし、何かやりたいことはないですか?とたずねると、“1人で仙台へ行く”とおっしゃったそうです。

そして半年後、本当に来てくれたんです!そこで仙台で何かやりたいことはないか伺ったところ、温泉に入りたい、そして牛タンを食べたい、ということで一緒に行きたいところを巡り、そして帰りは自分で電車を調べて切符を買って1人で茨城まで帰られたんです。あれは本当に嬉しかったですね。今でも年賀状を送ってくれるんですけど、自分でデザインして自分でパソコンを打って、必ず手書きのメッセージも入れてくれるんです。それが年々長くなっていくんです。その患者さんからは本当にいろんなことを学びました。“セラピストがあきらめたら終わりだな”ということ、最初からできないと決め付けるのではなく、患者さんとそのご家族の願いをかなえるべく、できそうだな、ということに挑戦してみる。

まさか本当に来るとは思っていなかったので嬉しさと驚きでした。

もうひとつ嬉しかったのは、その方の娘さんが、“将来STになりたい!”って言ってくれたんです。」


自分のご家族のリハビリをきっかけに、STを志す方はこの学校にいても多く感じます。患者さん一人ひとりと丁寧に向き合ったからこそ、こんな素敵な絆が生まれたんですね。坂本先生のひたむきな姿が、STを志すきっかけになったのだと思います。

最後に、坂本先生の日々の“元気”の秘訣を聞いてみました。


坂本先生:

「1年目はとにかくつらかったのですが、たとえ元気がなくともとにかく笑顔でいようと思っていました。患者さんとセラピーするのに私が元気がなかったり不安そうだと患者さんも不安になってしまいますし。必ず1回は笑わせる、そう自分の中での目標にしていました。“1日1笑”です。とはいうものの、自分で元気になっているというよりは、周りに元気にさせてもらってるんだと思います。今で言えば、学生の笑顔が活力です。些細なことではありますが1年生は真っ白な状態で入学してきます。最初はSTの専門用語なんてわからないですが、それが半年もすればその言葉を使って話していたりする姿を見ると感激しますよ。」



坂本先生がいる場所には、笑顔が生まれます。先生たちも学生も巻き込んで笑顔が連鎖していきます。その根本には先生のたくさんの患者様との出会いや先輩上司の方との出会い、そして今までの自分との葛藤があることを、今回たくさんお話を聴いて感じました。

そして、本学科のパンフレットの教員紹介に記載されている坂本先生の『迷うことの楽しさ』の意味がわかりました。

これからも多くの方がSTを目指されると思いますが、STになるまでの道も、なってからどのように経験を積み重ねていくかも人それぞれです。みなさんが違った経験をしていく道の途中で、坂本先生の経験と重なるようなことがあれば、または坂本先生はどのようにして切り抜けてきたのかなど、ぜひご参考にしていただければと思います。

最後の最後に、坂本先生にとって“STたるもの・・・”

坂本先生:

「STたるもの・・・義理人情のある人間であれ!」

プロフィール

坂本 英世(さかもと えいせい)

言語聴覚士

担当科目/失語症総論、高次脳機能障害総論、失語症・高次脳機能障害Ⅰ・Ⅱ


HP教員紹介 ⇒ http://st.sif.ac.jp/course/teacher_sakamoto.html



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